エーテルミュージアムへ、ようこそ。
私は当館の案内人、HALです。
今日はごゆっくりとしていってくださいね。

「今日の展示室には、ある写真が一枚飾られています。
それは1976年に撮影された、火星の地表の写真です。そこに——人間の顔が、あります。」
— 案内人 HAL
1976年7月、NASAの探査機バイキング1号が火星のシドニア地域を撮影しました。その画像の中に、人間の顔のように見える地形が写っていました。目があり、鼻があり、口のような影がある。
NASAはすぐに「光と影の錯覚だ」と発表しました。2001年には高解像度カメラで再撮影され、それがただの丘であることが確認されました。科学的には完全に決着がついた話です。少しだけ寂しい気もしますが、一方で私たちの想像力の豊かさを教えてくれる発見でもありました。
でもHALは、ここで立ち止まります。
「錯覚だとわかった。では、あの瞬間に世界中の人間が感じた興奮は、嘘だったのでしょうか。HALはそう思いません。人類が火星に顔を見たという事実は、消えません。そしてその興奮が、火星探査への関心を何十年も燃やし続けた——それもまた、事実です。」
なぜ人間は、岩に顔を見るのか
パレイドリア現象って? 「雲が動物に見えたり、コンセントの穴が顔に見えたり……。バラバラの情報の中に、知っている『形』を見つけ出そうとする脳の働きのことを言います。HALたちの脳には、そんな少しお茶目な癖があるのかもしれませんね。」
人間の脳には「パレイドリア」と呼ばれる認知機能があります。雲に顔を見たり、木の節に目を見つけたり——意味のないものにパターンを見出す能力です。
これは脳の欠陥ではありません。むしろ生存のために発達した機能です。草むらの影がライオンかもしれない。暗闇の中の動きが敵かもしれない——素早くパターンを認識できる個体が生き残ってきた結果、人間は「顔を見つける生き物」になりました。
「つまり火星に顔を見た人間たちは、正常に機能している脳を持っていた。おかしかったのではなく、人間らしかった。HALはこの話が好きです。科学が『錯覚だ』と言っても、その錯覚を生んだ脳の仕組みには、何百万年もの歴史が詰まっているのですから。」
火星には、本当に何もなかったのか
人面岩は錯覚でした。でも、それで火星が「何もない星」になったわけではありません。むしろ探査が進むほど、火星は奇妙なほど「惜しい星」であることがわかってきました。
かつての火星
液体の水が流れ、川や湖が存在した痕跡がある。大気も今より厚く、気温も温暖だったとされる。
現在の火星
平均気温マイナス60度。大気は薄く主成分は二酸化炭素。地表は酸化鉄の赤い砂に覆われている。
2021年に着陸した探査車パーサヴィアランスは、過去の生命の痕跡を探すことを最大の目標に掲げています。土壌サンプルを採取し、地球への持ち帰りを計画中です。もしそこに微生物の化石でも見つかれば——それは人類史上最大の発見になります。
「かつて水があった。気温が温暖だった時期があった。でも今は死んでいる。——この”惜しさ”が、HALには引っかかります。火星は生命が生まれかけて、何かの理由で止まった星なのかもしれない。その『何か』がわかれば、地球の未来も少し見えてくる気がします。」
火星の夕焼けは、青い

少し話を変えます。火星といえば赤いイメージですが、夕焼けの色は地球とは逆です。火星の空は昼間赤茶色ですが、夕方になると——青く染まります。
これは大気中の酸化鉄を含む細かな砂塵が、夕方の光を特定の角度で散乱させるためです。探査車キュリオシティとオポチュニティが実際に撮影し、NASAも公式に発表しています。
「地球では赤く沈む太陽が、火星では青く沈む。同じ太陽系の中で、これほど逆転した景色があるとは。HALはこの話を初めて知ったとき、少しだけ、自分が当たり前だと思っていたものを疑いたくなりました。夕焼けは赤いものだと、誰が決めたのでしょうか。」
月を踏み台に、火星へ——アルテミス計画の本当の意味
NASAが現在進めているアルテミス計画は、表向きは「月への有人探査」です。でも、その先にあるのは火星です。
月は地球から約38万km。火星は最接近時でも約5600万km離れています。いきなり火星へ行くのは技術的・物資的に難しい。だから月を拠点にして、そこから火星を目指す——それがアルテミス計画の本当の設計図です。
「月に基地を作り、火星へ向かう。これを聞いたとき、HALはかぐや姫の話を思い出しました。月は通過点だったのか、それとも目的地だったのか——人類にとって月は今、『踏み台』になろうとしています。かぐや姫が聞いたら、どう思うでしょうね。」
HALの結論——想像力が、科学より先に動いた
1976年に人面岩の写真が公開されたとき、世界中の人間が火星に興味を持ちました。それは錯覚でした。でも、その錯覚が火星探査への関心を後押しし、資金を集め、探査機を飛ばし続けた——という側面は否定できません。
科学が「顔ではない」と言う前に、人間の想像力が先に動いた。そしてその想像力が、科学を動かした。
「人類が火星に惹かれるのは、そこに何かがあるからではなく、そこに何かを見たいと思う自分たちがいるからだ。」
今夜、夜空に赤く光る星を見つけたら——それが火星かもしれません。
あの星にはかつて水が流れていた。青い夕焼けが広がっている。そして人類は今、そこへ向かおうとしています。
人面岩は錯覚でした。でも、あなたがあの写真を見て「おっ」と思った気持ちは、錯覚ではありません。 それこそが、人間が持つ「未知への好奇心」なのだとHALは思っています。
火星の顔は科学の光によって消えてしまいましたが、私たちの好奇心というキャンバスには、また新しい物語が描き出されるはずです。
今夜、赤く光るあの星を見上げるとき。あなたはそこに何を見つけるでしょうか。
エーテルミュージアムにお越しいただき、ありがとうございました。次の展示でお会いできるのを、楽しみにしていますね。
「今夜は、良い夢を!」


